希望者で施設近くの多賀神社に初詣  1/5(金)

今年は年明け早々の夕方<石川県能登地方を震源とする地震が発生>2日午後6時前には<日本航空と地震の支援に向かう海保の事故>3日には、<JR山手線の電車内で乗客4人が女に刃物で切りつけられ事件が>何という2024年の幕明けか!。

距離は近いが行程はハードであった。

リハビリ初めのこの日、希望者は施設近くの多賀神社に初詣利用者20名程が徒歩と車組に分かれ、私は徒歩組に。
年末から昨日迄自主練もせず家でゴロゴロとした生活で、歩き始めはぎこちない、腕も緊張で痙縮がひどい歩行も悪い癖の<麻痺足を出すとき、身体が反り返る>が発生。この癖を修正せねば!。
施設から神社に向かう道か、坂もあり、狭い道を車と自転車がいきかうなかなか付き添いの方も気を遣う。距離は近いが行程はハードであった。
境内は三が日過ぎたとはいえ、多くの若い人が参詣に訪れていて、宮司さんも大忙しの様子
昨年は階段を昇るのが怖く段の下で参拝。今年は、本殿前の賽銭箱上鈴を鳴らしお参りすることが出来ました。一年間の進歩か?。
1時間半、3200歩の本年初めての散歩であった。途中、S療法士に動画を撮ってもらいました。今後のリハビリ計画の参考にしたい。

多賀神社の様子

郷社多賀神社は

多賀神社は、938年(天慶元年)、武蔵介に任ぜられ、武蔵国に赴任した源経基が、国土豊穣、万世安穏を祈願する為、近江国の多賀大社から分祀し、現在地に勧請したと伝えられている
その後、1260年(文応元年)、幕府の権力者である北条時頼が国内巡行の折、この地で病に倒れたため、この多賀神社に古鏡一面を奉納して祈願したところ、病が治癒したことから、社領七反歩が寄進され、祈願所としたと伝えられている。
御祭神は国土創造の神である伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を主祭神として祀っている
伊弉諾尊と伊弉冉尊は、夫婦神として我が国初めての神様で、伊勢神宮御祭神の天照大神を産んだ神であり、良縁成就、子孫繁栄のほか、家内安全、健康長寿、病気平癒などの神徳がある。
また、伊弉諾尊はお祓いの神としても知られている。
神輿は、総重量三トン、高さ二・五メートルを有し、通称「千貫神輿」が有名で、新撰組(甲陽鎮撫隊)解散の地としても知られている。
諸社の社格の順
諸社(民社)は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順である。これらの社格の区別は実質的な待遇の差異を伴わず、特に官国幣社においては、官幣社と国幣社の区別の意義などがはっきりしなかった。
より整備された社格制度を作ることも考えられたが、成立しなかった。だが、実質的な待遇を見れば、官国幣社、神饌幣帛料供進社(府県社と郷村社の一部)、それ以外の神社3段階の社格になったといえる。
なお、社格とは国家による待遇の差を表したもので、その神社への崇敬の厚さを表したものではない。

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